Mgr Emmanuel Lafont (1945 - )
フランスのギアナ海外県の Cayenne 教区 の司教
Emmanuel Lafont 司教のインタヴュー,La Croix 紙 Internet 版 2020年04月30日付
Sans le pain de la Parole, le pain eucharistique devient incompréhensible
ことばのパンが無ければ 聖体のパンの意義は理解不能だ
今までのところ,外出制限はよく守られており,感染拡大の防止が可能となっている.しかし,外出制限は緩和されようとしている.(人口 約 27 万人のギアナ県において)感染者は 126 人,死亡者は 1 人のみであり,我々は 比較的恵まれた状況にある.市長会議は,しかし,学校の再開を 5月11日以降に延期することを選んだ.なぜなら,ピークは,ギアナ県では,フランス本土より数週間遅れてやってくるだろうことを,我々は知っているからだ.また,隣接するブラジルの Amapá 州では,状況は惨憺たるものだ.
わたしの教区のなかで,司祭が年に一度しか訪れることのできない村は,ただひとつ,Saint-Élie だけだ.ほかの地域には,司祭は少なくとも月に一回は訪れている — Maroni 河ぞいの Ipokan Ëutë のように遠方の村でも.司祭が来ない日曜日には,礼拝は 祈りを主導するリーダー — 男性も女性もいる — によって行われている.勿論,COVID-19 の流行のせいで外出制限が課せられてからは,司祭たちはどの共同体をも訪れることはできていない.いずれにせよ,今の季節は乾期で,河の水位が低いので,行き来は困難だ.
そのような場合もある.しかし,ミサを行うことは,聖書をめぐる交流や分かち合いを必ずしも可能にはしない.代わりに,司祭は,平日,信者家族に会うために,ひとつの地区からほかの地区へと移動司牧をしばしば行っている.勿論,外出制限が始まって以来,それも行われていない.
わたしも,南アフリカの Soweto のスラム地区の司祭だったとき,しばしば,信者の家で聖体拝領の儀式を行った — 二時間にもわたる地域の共同祈願に引き続いて.また,葬儀ミサを信者の家庭で行うこともあった.あるときは,あまりに多くの参列者がいて,テーブルを置くこともできなかったので,わたしは,聖杯と聖体容器を柩のうえに置かねばならなかったことがある.
そのようにミサに執着することは,健全なこととは思えない.やや未熟でさえある,と わたしは思う.外出制限が始まるやいなや,わたしは,預言者ホセア (Os 2,16) を引用しつつ,兄弟姉妹たちに言った:「我々は 荒れ地へ出発するのだ」.この長引く荒れ地のなかで,神は我々に語りかけつつある.バビロン捕囚のことを思い出そう.イスラエルの子たちは,イェルサレムの神殿と,いけにえの儀式と,祭司たちの機能を失った.民に残されたのは,神のことばと預言者たちだけだった.そして,神のことばと預言者たちこそが,イスラエルの子たちが捕囚の時代を回心のときとして精神的に生きることを助けた.我々の外出制限の期間は,より深く聖書に立ち入ることを可能にする時間だ.つまり,それはチャンスだ.さらに言えば,たった二週間早いか遅いかに何の違いがある?
わたしは,教区の信者たちにこのことを指摘した:世界で 一億五千万人のクリスチャンたち — あらゆる教会や教派を含めて — が 迫害のゆえに 日常的に経験していることを,我々は ごく限られた期間 経験しているだけなのだ.我々の外出制限期間は,したがって,ミサや礼拝の機会を慢性的に奪われているクリスチャンたち — にもかかわららず,彼れらは信仰を生きている — との連帯において生きる機会でもある.sainte Thérèse de Lisieux が言ったように,「秘跡を受けることができるなら,それはよいことです.秘跡を受けることができないなら,それもよいことです!」
最後に言うなら,我々は この五月を Cenaculum[Jesus が弟子たちと最後の晩餐を取った部屋であり,かつ,Pentecoste の日に聖なる息吹が弟子たちにくだった部屋]のなかで生きることができる — マリアとともに祈り続けながら;また,教皇 Francesco が我々を誘ったように,神の聖なる息吹が我々を捉えることを辛抱強く待ち続けながら.周知のように,外出制限の解除が準備されているが,そうなれば,感染の第二の波が起こる危険性が非常に高い.我々は,今後も さらに長期間,新型コロナウィルスとともに生きて行かねばならない.エマオへ向かう弟子たちのエピソードが示しているように,ことばのパン無しには聖体のパンの意義を理解することはできない.
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